広島高等裁判所岡山支部 昭和26年(う)231号 判決 1952年3月20日
控訴人 原審検察官検事 今井和夫
被告人 松岡勉 弁護人 有岡幹三郎 小倉金吾
検察官 大町和左吉関与
主文
本件控訴を棄却する。
理由
検事今井和夫の控訴趣意は記録編綴の同控訴趣意書記載の通りであつて茲に之を引用する。
第一点原判決は事実誤認の違法があるというのであるが原判決が詳細に判示しているように拠示の挙拠により判示の如く認定したことは条理及経験則上是認せらるゝところであつて仮令所論の如き反対証拠が存在するとしても原判決がこれを排斥したことはその自由裁量に基くもので何等違法ではない。論旨は理由がない。
第二点原判決は法令の適用に誤りがあるというのであるが喧嘩闘争の場合は如何なる場合でもその行為に対し正当防衛に関する刑法第三十六条第一項の適用なしとはいえない。要はその闘争の全般からみてその行為が法律秩序に反するものであるか否かによつて定まる。
本件被告人の所為は被害者松岡悦雄が飲酒の上乱暴するのを取静めようとして偶々喧嘩になつたもので被告人は相手方に危害を加えようとしたのではなく被害者松岡悦雄が被告人にナイフを以て危険を加えようとしたので其の手を掴えたところ松岡悦雄がその手を掴んだから被告人はこの急迫不正の侵害に対し自己の身体を防衛するために已むなく右悦雄の口に左手を入れ噛んだ口を離させようとした際被告人の左手の爪が悦雄の口の右端から右頬に当り判示の如き創傷を生ずるに至つたものであることが判示被告人及証人の供述並に原審公判調書中証人山崎明の供述記載により認められる。かゝる場合に被告人のとつた敍上の如き防衛行為が法律秩序に反するものとはいえない。然らずして相手方の危害に任せなければならないというは条理上到底是認し得ない。原判決が「かゝる場合における被告人のかゝる所為は刑法第三十六条第一項の正当防衛として認容すべきである」と判示したのは正当である。論旨は理由がない。
仍て刑事訴訟法第三九六条により主文の通り判決する。
(裁判長判事 柴原八一 判事 秋元勇一郎 判事 高橋英明)
検察官の控訴趣意
第二点原審判決には法令の適用に誤がある。悦雄の頬の表皮剥脱は悦雄が被告人の手の甲を噛んだその急迫不正の侵害を防衛するために生じた傷害であると判示して刑法第三十六条第一項を適用して無罪の云渡をしたのであるが、喧嘩闘争には正当防衛の適用はない筈である。こゝにも法の解釈の歪と擬律錯誤の違法ありと謂えよう。法の解釈の歪を詮議する前に先ず事実を明瞭にする事が必要である。悦雄がナイフを出し居合せたものが総がかりで其のナイフをもぎ取つたのは被告人が悦雄に対し散々殴打暴行を加えた後の出来事で悦雄としてはその殴打暴行に堪えられないところから偶々所携のナイフを取り出したのに過ぎないのである(記録三十四丁)。依つて、問題の傷害は如上の如くナイフを取り出す前の殴打暴行によつて発生したものでそこに正当防衛論の生ずる余地はないのである。仮りに問題の傷害がナイフ腕ぎ取りの刹那に生じたものとするもそれは被告人の殴打暴行を切掛けに展開したる二人の間の喧嘩闘争中に発生した傷である。然るに原判決がこれに正当防衛の成立を認めたのは刑法第三十六条第一項の解釈を誤つたものであり、従つて擬律錯誤の甚しき違法がある。
叙上の理由により刑事訴訟法第四百条に基き原審判決を速かに破棄して検察官求刑通り罰金千円の云渡相成り度刑事訴訟法第三百八十条第三百八十二条第四百条により控訴を申し立た次第である。
(その他の控訴趣意は省略する。)